주메뉴 바로가기내용 바로가기하단 바로가기
상세검색
  • 디렉토리 검색
  • 작성·발신·수신일
    ~
청계중일한관계사료

주복(周馥) 등이 어윤중(魚允中)이 기록한 조선 난사(亂事)의 사정과 이하응(李昰應)의 죄상에 대해 올린 문서를 서리 북양대신이 총리아문에 보낸 비밀 자문(咨文)과 관련 어윤중의 기록 첨부 문서

密咨周馥等呈魚允中所錄朝鮮亂事顚末及李昰應平昔罪狀.
  • 발신자
    署理北洋大臣 李鴻章
  • 수신자
    總理衙門
  • 날짜
    1882년 9월 7일 (음)(光緒八年九月初七日) , 1882년 10월 18일 (光緒八年九月初七日)
  • 문서번호
    4-3-27(599, 995a-1002a)
九月初七日, 署北洋大臣李鴻章文稱:
 
據津海關道周馥·候選道袁保齡·馬建忠等禀稱:
窃照本年六月朝鮮亂軍之變, 係因李昰應激成, 業經職道等遵奉憲諭, 詳細究問, 竝抄錄該國陪臣等筆談, 書札禀蒙憲臺奏奉諭旨:
李昰應著安置保定府地方, 永遠不准回國.
等因. 欽此. 欽遵辦理在案. 惟查李昰應罪惡昭著, 雖係職道等參稽衆論, 然在未定案之先, 其良儒者畏勢而不敢言, 即彼國忠耿之士言之, 亦不敢盡. 今幸聖謨廣運, 聲罪定案, 不許還國, 該國人心大定, 正氣復伸, 從前懼禍趨勢之流, 亦皆革心向化. 該國王始能重整紀綱, 忠臣謀士乃得復睹天日, 是非邪正, 公論益彰. 前日職道等接見該國陪臣魚允中, 詢知其擢入機務衙門, 職道馥遂問, 爾既爲宿衛之臣, 六月之亂, 必更詳悉, 魚允中遂錄亂事顛末一紙, 又臚舉李昰應平昔罪狀一紙, 大致與膱道等所訪情形相同, 而詳切過之. 理合照錄密呈查核, 可否密咨軍機處, 總署督憲備案, 以備日後查考, 伏乞酌奪.
等情. 到本署大臣. 據此. 相應咨送, 爲此密咨貴衙門, 謹請查核備案.
별지: 「朝鮮魚允中錄朝鮮亂事顚末」
 
1) 「朝鮮魚允中錄朝鮮亂事顚末」.
朝鮮亂軍之變, 醖釀有由, 興宣之家兵, 皆從營兵挑選者, 早與之串通, 昨年李載先謀逆之時, 已約訓練軍舉事, 旋有告發, 變未及作. 至本年六月, 爲文使之密相告諭, 約以十四日爲亂. 未至期, 以餉觧欠少, 與倉吏口角, 重打倉吏, 倉堂官即閔謙鎬, 倉吏乃其家人, 拘軍人于獄, 將置之死. 軍乃相聚, 愬于大將李景夏. 景夏曰:“汝既有犯, 吾於倉堂無奈, 任自爲之.” 軍乃解軍牌, 直向閔家, 請得倉吏而甘心. 門者拒不納, 因與之争, 毁其門戶. 閔尚不欲治倉吏息衆怒, 遂直趨王宫, 軍欲愬閔而不得, 至破其家, 乃相與曰:“等死耳. 不可以散.” 直到刑司, 解所囚軍人于獄, 屯于營, 吹角招軍, 諸軍麕集. 因曰:“大院君曾有密通, 可往而聼命. 直至其家愬之.” 乃攘臂曰:“今日之事晚矣. 汝等今乃夢覺耶.” 時天下雨, 飭家僮出油衣三百領, 銅錢五百串, 散給而慰之, 使之勉力從事. 軍皆踴躍而出, 殺李最應于其第, 再往破閔謙鎬家, 更屯于營, 國王請興宣往諭散遣之. 伊乃至營, 有何約束, 人不得知, 還宿其家, 密召宿衛統將曰:“軍或入闕奔愬, 無或格之, 恐爲難耳.” 前此有勤王集衛士守宫者, 又使之告王曰:“適足以動摇衆心, 可以解遣.” 國王猶信, 使興宣往諭而不爲之備. 翌朝亂軍至宫門外, 興宣家兵前導攔入, 軍皆隨之. 至殿前只請出給, 出給數次, 而無指名之人, 繼言閔姓者再, 興宣在殿上呼閔謙鎬曰:“此事君可喻止之.” 推而下之, 衆乃斫殺之. 繼指金輔鉉, 衆又殺之. 于時使其跟伴在衆中指揮之. 興宣欲進毒王妃, 王妃曰:“只欲害我, 此先王之宫殿也. 何稱兵之至此?” 興宣乃手牽衣裾, 擠之下殿, 亂軍擁之而出, 有軍人自中翼蔽, 護出宫門, 匿于民家, 佯告以被弑, 後乃潛出城門, 避居閔應植家. 又使犯王, 兵刃幾及而不敢, 乃使輿而幽於庫房, 從四壁以㦸亂衝, 幸賴宰臣金炳始負而避之. 世子奔避宫苑, 李載純·尹泰駿護出苑門. 凡宫中所有書籍, 皆指爲西教書而扯之, 焚之. 新置機器樣子, 悉行破碎, 洋槍八百桿·回旋礮·後門礮, 亦以西制而毁破之. 興宣之所執而動摇衆心者曰:“排異教也.” 曰:“斥和議也.” 是以腐儒蚩氓多附之. 繼往軍教塲, 拆毁營房, 日本陸軍少尉, 延爲軍教師堀本, 假粧朝鮮衣服而走, 被執見殺, 營官等亦同時被戕. 國中無賴之素惡異邦人者, 群聚日本使館外, 聲言將殪殄之, 日人乃聚其傢具而火之, 揮刃突出, 衆皆披靡, 見殺者亦數十人. 向仁川走去, 使亂軍追殺之, 誡之曰:“只留花房勿殺, 殺使則不可, 又可使之歸告其國也.” 乃馳及仁川, 殺七人, 餘即覔船下海. 興宣乃自作誓言, 以勿罪軍人之意, 書給亂軍, 出侍于宫門外, 自書王言曰:“大小事務, 皆决于大院君, 使承宣往諭之.[所求者即此也. 何異於禪位詔]即罷機務衙門·武衛營, 往毁閔泳翊家, 泳翊方以母喪家居, 聞變避走, 不及於禍. 士大夫外, 雖市井吏役與不平者, 悉已錄成一通, 投之亂軍, 使皆毁其家, 散其金帛, 凡二百餘家毁家, 殺人必來禀白. 亂軍之讕入宫門作變, 本非衆心, 皆伏於宫門外請罪. 興宣自出諭之曰:“爾與我一般, 我在汝勿疑懼.”[此亦明白痛快處] 欲大肆殺戮, 除異已之人, 閔泳翊逃之入山, 洪英植調病山莊, 而因避走. 又有到中國者, 入日本者, 餘亦奔避者多. 其黨謀之曰:“姑緩之, 使在外者盡到而除之.” 所以搢紳之禍未深, 猶逞憤於市民·商役, 毁拆房屋外, 淫殺者殆百餘人. 亟樹黨與, 其子載冕爲訓練大將·戶曹判書, 其壻趙慶鎬爲守禦使, 金善弼爲江華留守, 使握重兵, 洪祐昌爲京畿監司. 本邦有負商. 其徒數萬, 多膂力, 習勞苦, 尚義氣, 結黨相援, 曾有自願衛國者. 至是乃自驚曰:“負商將至. 發武庫, 散兵器于坊民, 使遇輒殺之.” 民之推埋之類, 與亂軍群起奔走, 殺無辜數百人. 一國波盪居幾日, 欲僞發王妃喪. 軍人曰:“我輩無弑妃之事. 何以發喪?” 衆心洶洶, 使人力諭之. 廷臣亦執不可, 勒令發喪, 咨告于中國及日本. 一欲掩作亂之罪, 一欲明執政之事. 日後之簒弑, 將惟意圖之也. 嗟乎! 朝鮮素重名義, 上下截然有序. 彼軍人向於閭閻, 猶未敢攔入, 而況國君乎? 等是平民未敢擅殺, 而況宰輔乎? 一日而綱常墮地, 國幾無類, 是誰之使? 是誰之罪? 幸賴中國恤藩之恩, 亂首就擒, 君權復整耳. 朝鮮大院君李昰應, 南延君 球子, 初封興宣副正. 癸亥國王嗣位後, 以本生親進封大院君, 爲人剛驁姦險, 欺天罔人, 執政十年, 毒一邦矣.
一. 幼主即祚, 大妃垂䈴, 即有國大經法而稱以攝輔, 百事專擅, 政自己出, 獨斷行之, 大妃一不得預聞國政, 非久又撤䈴矣.
一. 王城有東西二關, 即累朝相傳之所也. 又有舊稱景福宫, 壬辰兵燹後, 只餘空墟. 至是無端毁去西關, 遂大興土木, 作景福宫. 凡公廨各司之完固者, 并皆破壞, 一時攺建, 勒欲京鄉民財, 强爲名曰:“願納”, 又於税上加徵, 逐戶索錢, 使八道民力, 貧富俱困, 怨咨嗷嗷, 不能聊生矣.
一. 凡卿相大家, 閭巷富人膏腴田土及鄉曲富民世傳財産, 隨處攘奪, 充其谿壑, 贓獲利於八道, 財貨甲於一國, 雖度支, 太倉亦不得侔擬焉.
一. 凡宫姫及閭閻婦女之姿色少艾者, 恣行荒淫, 日夜無度, 有夫及守貞之女, 多所汚穢, 敢於大妃近侍之宫女, 肆行淫䙝, 因作媵妾, 雖大妃有責而少無忌憚, 外他亂倫悖常之事, 往往身犯, 醜聲聞於一國矣.
一. 用人偏僻, 己所阿好, 悉爲登庸, 布滿朝署, 夙昔睚眦, 殱芥必報. 又以閹寺, 宫妾, 掖屬列爲心腹耳目, 問探宫闈動静, 益張威福矣.
一. 用法惨刻, 全無欽恤, 雖微眚薄過, 嗜好戕害人命. 十年之間, 殺死累萬人, 搜捕邪學之際, 無辜横罹, 混入株連, 不辨虚實, 竝置刑戮, 人皆惴憟側目矣.
一. 改鑄當百錢, 行之四五年, 民皆不便, 而京鄉私鑄甚多. 詗捕誅殺, 不可勝數, 八道騷擾, 則又得中國錢, 出來用之, 人心積疑, 物價騰踴, 終不復舊. 爲至今無窮之害.
一. 賣官鬻爵, 稱以富國而壞了名器, 無復餘地, 此亦聚斂誤國之大端也.
一. 方伯·閫帥·守令赴任後, 國家正供封進之外, 各從土産, 皆令有另納物種, 由是貪墨成風, 剥割爲事. 民生困瘁, 如在塗炭.
一. 王城各門, 剏設門税法, 凡商旅行人之入城門者, 隨其定數多少, 征納税錢. 外他許多收税, 層生疊出, 此亦東方無前之事, 而爲蠧民之一端也.
一. 第宅亭樓, 極其宏壯, 衣服器用, 奢侈無度. 以一國奉一身, 何論僭汰? 而一世搢紳, 豪人富屋, 競相仿效, 靡然成俗. 始作俑者, 無以辭其責矣.
一. 俳優娼妓,日夜會集, 作爲淫媟之塲, 評論高下, 荒雜無倫, 所可道也. 徒汚唇齒.
一. 甲戌以後, 國王稍稍親政, 王妃兄閔升鎬頗有密贊, 則恐自己失勢, 積懷怒憤, 必欲甘心. 乘夜放礮於閔家, 閔升鎬與其母國舅夫人及其九歲胤子, 一時并命於大炎. 國人莫不悲傷, 巷議甚多, 而畏其威毒, 無敢言者.
一. 景福宫有兩次火變, 昌德宫有兩次火變, 武衛新營亦有大變, 皆是謀危國王之意也. 延燒大妃寝殿, 幾危僅免, 一國震驚, 而景福宫大半灰燼, 永作廢闕矣.
一. 甲戌以後, 讐視王妃, 怨懲次骨. 多縱心腹家人, 遍散京鄉, 煽動訛言, 暴揚王妃過失, 無非搆揑誣罔, 口不可道. 由是無知常賤之類, 多有信以爲然. 誹訕無倫者.
一. 王妃所處寝殿, 多埋凶詛咒, 前後掘出爲幾十處, 宫中無人不知. 毛骨俱竦.
一. 失勢之後, 禍心日急, 陰嗾湖南人, 將圖不軌, 事將不測, 而未成漏泄. 朝廷既知本事, 不欲窮治其獄. 乃使湖南伯李敦相暫假金吾之銜,주 001
각주 001)
금오(金吾)는 집금오(執金吾)의 약칭으로 밤의 통행 금지를 맡아 보았던 한(漢) 나라의 무관 이름인데, 의금부(義禁府)의 별칭이기도 하다.
닫기
仍其地決處, 而一切獄案, 漫漶滅口, 草草磨勘矣.
一. 昨年辛巳秋, 指嗾不逞之徒, 必欲犯闕, 而以其庶子載先, 作爲奇貨, 將欲推戴. 事在朝夕, 而變告上闕, 遂盡捕逆黨, 嚴鞠得情, 而國王必欲濶略獄事, 只誅凶魁幾人, 而載先則賜死, 不復究竟.
一. 今年六月之亂, 即古今天下所無之大變也. 指教軍卒, 書給片紙, 直出武庫兵器, 作黨横行, 而公卿戚里諸家及閭巷富室, 幾盡破毁, 撲殺首相, 大將及宰執數三人. 因突入王宫, 以兵刃逼辱國王, 罔有紀極. 又求索王妃, 必欲犯弑, 而王妃僅免凶鋒, 潛與五六宫女脱身虎口, 隱避於本宗至親翊贊閔應植家. 亂兵退定後, 即爲發喪成服, 託以永失體魄. 而乃以衣襨殮繽, 不日營葬, 豈有似此大變乎?주 002
각주 002)
상능무차(顙能無泚)는 상차(顙泚)라고도 하는데, 이마에 땀이 난다는 것으로, 『맹자(孟子)』 「등문공 상(滕文公上)」(“其顙有泚, 睨而不視.”)에 나오는 구절이다. 부모의 시신이 짐승과 벌레에 먹혀 파손된 것을 보고 마음속으로 부끄러워 이마에 땀이 난다는 것으로, 부끄럽고 놀라 두려워함을 뜻한다.
닫기
及夫天將擁兵臨陣, 獲得首倡凶徒十數輩, 聲罪正法, 而訊覈之際, 單辭即判, 斷案已成, 此則宇内各國亦當有耳必聞, 無復訝惑者也.
一. 亂兵搶攘之日, 先破舊相興寅君 李最應家, 仍殺李相慘酷無比, 此所謂借手弑兄, 而猶可曰:“非我也. 兵也耶.” 悖逆絶理, 罪通於天, 尚何以抗顔, 白日厠身人類, 而其顙能無泚乎?(?) 閔謙鎬升鎬之弟也. 俱爲婦弟之親, 而前後戕殺, 無所顧藉, 亦豈非残忍憯毒耶? 非但本國之罪人, 實爲萬國之罪人也.
一. 作變之日, 指嗾軍兵, 詬辱大妃及王妃, 罔有紀極, 此亦爲覆載難容之凶逆矣.
一. 作變之日, 軍兵謂曰:“事已成矣. 國權從此歸公, 則吾輩所願, 亦當如約.”云云. 人皆聞此説, 莫不扼腕.
一. 王妃脱身避亂之後, 散遣剌客, 期欲害之, 竟不如意, 則王妃姓親不計遠近, 必欲戕害無遺. 故皆僅得保命, 四處渙散.
一. 作變之日, 指嗾軍民, 衝火於日本人留住處, 無端亂殺, 已和之他國, 幾乎搆釁召亂矣.
一. 變亂甫定, 又勒奪富民錢幾百萬, 暗使捕廳, 殺害無罪之人. 一朔之間, 殆近千人.

  • 각주 001)
    금오(金吾)는 집금오(執金吾)의 약칭으로 밤의 통행 금지를 맡아 보았던 한(漢) 나라의 무관 이름인데, 의금부(義禁府)의 별칭이기도 하다. 바로가기
  • 각주 002)
    상능무차(顙能無泚)는 상차(顙泚)라고도 하는데, 이마에 땀이 난다는 것으로, 『맹자(孟子)』 「등문공 상(滕文公上)」(“其顙有泚, 睨而不視.”)에 나오는 구절이다. 부모의 시신이 짐승과 벌레에 먹혀 파손된 것을 보고 마음속으로 부끄러워 이마에 땀이 난다는 것으로, 부끄럽고 놀라 두려워함을 뜻한다. 바로가기

색인어
이름
李鴻章, 周馥, 袁保齡, 馬建忠, 李昰應, 李昰應, 魚允中, 魚允中, 魚允中, 興宣, 閔謙鎬, 李景夏, 景夏, 李最應, 閔謙鎬, 興宣, 興宣, 興宣, 閔謙鎬, 金輔鉉, 興宣, 興宣, 閔應植, 金炳始, 李載純, 尹泰駿, 興宣, 堀本, 花房, 興宣, 閔泳翊, 泳翊, 興宣, 閔泳翊, 洪英植, 載冕, 趙慶鎬, 金善弼, 洪祐昌, 李昰應, 南延君, 球子, 閔升鎬, 閔升鎬, 李敦相, 載先, 閔應植, 興寅君, 李最應, 閔謙鎬, 升鎬
지명
保定府, 仁川, 仁川
오류접수

본 사이트 자료 중 잘못된 정보를 발견하였거나 사용 중 불편한 사항이 있을 경우 알려주세요. 처리 현황은 오류게시판에서 확인하실 수 있습니다. 전화번호, 이메일 등 개인정보는 삭제하오니 유념하시기 바랍니다.

주복(周馥) 등이 어윤중(魚允中)이 기록한 조선 난사(亂事)의 사정과 이하응(李昰應)의 죄상에 대해 올린 문서를 서리 북양대신이 총리아문에 보낸 비밀 자문(咨文)과 관련 어윤중의 기록 첨부 문서 자료번호 : cj.d_0003_0030_0270