일본 외무대서기관이 중일(中日)이 조선을 공동으로 보호하자는 건의가 채택할 만하다고 주일본공사 여서창(黎庶昌)이 총리아문에 보낸 서신과 첨부한 관련 문서
日田邊太一郞建義中・日或中・日・美共保朝鮮, 其說似有可採.
九月初四日, 出使大臣黎庶昌函稱:
七月二十七日肅上昌字第三十三號函, 計邀尊察. 頃奉到七月初三日, 衙門具奏核銷出使日本一年期滿各項經費大咨, 詳慎讀悉. 此間近事, 一切都無異聞. 自六月以來在避暑期内, 與井上馨見面甚稀. 球案修約概未提起, 本月十四日外務大書記官田邊太一來署, 閒談詢問安南事甚悉, 若似十分關切者. 然彼因中國毫無動靜, 多方比譬責備, 以爲因循. 庶昌告以中國并非於安南事件不管, 現在中國官兵據守北甯·宣泰等處, 實欲乘法因敝, 然後圖功. 安南王雖再有城下之盟, 允與否總待中國一言而定, 緩則有之, 不管則未也. 彼又謂: “此事失在十年前, 法與定約, 不立責問.” 庶昌即將前此衙門抄示, 與羅淑亞往來照會之意揭出.주 001 彼又以日本前派武官二人, 赴安南法軍觀戰, 恐中國不無見疑. 庶昌謂: “凡兩國打仗, 他國派員前往觀戰, 此西洋通例, 無可致疑. 中國未嘗以此介意.” 惟安南一役在我久無聲響, 實不足昭上國光輝, 似宜令滇桂之兵, 再進一步, 稍示爭衡, 始可望有歸宿. 竊料法人決不能舉全國之力而來, 與我甘心也. 詎田邊安南之問, 尚是帷燈匣劍,주 002 其意盖在朝鮮. 談論良久, 彼索紙筆, 忽建中・日兩國, 或中・日・美三國公同保護朝鮮之意, 窺其情似是出自井上馨諸人之意計. 不然不能言之直切了當如此. 此議庶昌蓄之已久, 因法事未定, 未敢即陳. 且彼不提而我爲是説以進之, 或反增其偃蹇.주 003 日人之於朝鮮經營已歷年所. 始則頗欲專制以奪中國之權, 近年漸知此願難遂, 自美·朝定約以後, 似又更退. 將來英, 徳各國次第插手, 日人豈能惟所欲爲? 或是因時見機, 欲爲轉圜琉球地步, 亦未可定. 且我既許朝鮮以自主, 則是中國管轄之權, 已明去其半矣. 朝人愚闇, 意見紛歧, 中日騎牆黨早立, 則是中國半轄之權, 又分爲二矣. 異日歐人到朝者多, 朝人出外者眾, 心無適莫, 眼高手生, 更難助理. 中國管轄之權, 至此而存者盖亦無幾矣. 與其代庖而治, 令中國多所爲難, 何如就計而施, 改朝鮮使成中立, 此實知已知彼本謀. 庶昌以爲宜且與彼先約, 果能退還琉球, 則保朝之説, 似亦可以許也. 抑尤有進者, 中國之於各屬邦, 僅所謂羈縻勿絶而已.주 004 平時既未關其國是, 有事乃獨任其艱難, 宵旰勤勞, 靡有已日. 自計亦覺稍左, 竊謂方今事勢, 與古迥殊, 辦理屬邦之道, 首宜奪其王而廢置之, 如英人之於印度, 次亦宜挾全力以威制之, 如徳人之於日耳曼, 否則聯合與國共保之, 如瑞士· 比利時之屬, 庶幾足以自存. 强鄰環伺, 三䇿俱無, 誠不能以一日安矣. 使安南而遽平, 則中· 法達和, 屬土已成共治之局. 倘安南竟爲法有, 則還球保朝, 以猶略勝一籌. 如此釋日嫌, 泯俄覷, 輕中責, 内之不失國體, 外之合乎公法, 計無有善於此者. 兹對田邊問答節略, 抄呈鈞鑒, 是否可採與議, 伏乞代回堂憲, 酌奪賜示爲幸.
再, 十六日接據長崎代理理事郭萬俊電稱:
昨晚八時, 有日本廵查带刀到中國租界之屋内, 傷中國人五名. 一名傷重一點鐘時身死.
等語. 當即電詢, 係何縁故. 旋據電復: ‘因拏喫鴉片, 不服拏, 即用刀戳.’ 日官現驗明查辦, 此事於條約有關, 先以陳聞.
별지: 「黎庶昌黎外務大書記官田邊太一問答節略」: 論中日共同保護朝鮮事.
1) 「黎庶昌黎外務大書記官田邊太一問答節略)」
[田邊太一]問: “安南與法國, 結約在十數年前, 貴國聞焉而不遂, 馴致今日之事. 今日法國亦强, 安國再爲城下之盟, 貴國又如不聞者. 嚮聞李中堂與徳理固公使説주 005 : ‘法國如布封港之令, 即爲貴國宣戰之時.’云云. 照之萬國公法, 實爲當然. 今到城陷王降, 而後欲口舌爭之, 恐不能及. 是僕之所爲貴國惜也. 然安南遠在南海, 與敝國風馬牛不相及, 其得失亦非敝國之所干. 然剝牀及膚,주 006 僕更有不堪祀天之憂者, 則在朝鮮. 僕請申其説, 朝鮮現與敝國結約, 又與美國結約, 既派使赴美, 都是儼然自主之國也. 則戰與和, 貴國亦聼其自主邪. 果然萬一與外國有事, 貴國毋乃一誤而再誤如安南乎! 敝國與朝鮮隣, 其有事疆場, 不得觀如安南, 以隔岸火而視也. 僕意私謂: ‘使朝鮮爲自主之邦, 夙與各締盟國約, 歸之貴國與敝國之保護, 永爲中立之國, 如瑞·白於歐洲, 則可以永斷禍根, 而貴國與敝國長無可患.’ 不知閣下以爲何如?”
[黎庶昌]答: “凡各國自已保護屬地, 其權皆有輕重之分. 一以地勢之遠近爲準, 朝鮮與安南同爲中國屬邦, 而保護則微有輕重. 何者? 盖以朝鮮逼近盛京, 且與北京, 天津亦不甚遠. 其情形與安南不同. 假如朝鮮有事, 則敝國自當全力與爭, 不似辦理安南之稍緩. 尊論雖可以備一説, 然中國亦竝非是全無力者. 但凡遇屬邦之事, 苟可和平結局, 即望和平了之, 不欲亟亟自竭其力, 實非置屬邦於度外不問也.”
問: “僕非謂貴國無執爭之力也. 欲以和結局, 則正足見大國包荒之量, 而如朝鮮之事, 不及今計之, 恐莫及時也. 美國之派使結約於朝鮮也. 僕偶在北京, 與俄公使談曰: ‘俄與鮮相隣國, 宜及早結約, 而被美著祖鞭,주 007 似不得䇿.” 渠微哂徐曰: ‘壤雖相接, 國小民貧, 無有貿易之利, 何必結約? 且我方與中國爭伊犂, 事漸有豸, 未知後來能如今日否? 不如舍朝鮮以爲後圖.’ 夫俄之朵頣朝鮮,주 008 夫人所知也. 僕意, 竊以爲使朝鮮儼然爲自主之邦, 與宇内各國相結盟, 則不免顧前慮後, 暫使其爲貴國之屬土, 則俄與貴國接壤數千里, 一有違言, 彼得因而肆搏噬之慾, 彼意中盖如有不可圖者. 今朝鮮既與美通好, 宇内萬國將視以爲自主之邦, 故及今疏而導之, 爲兩國保護之邦[保護之國則因不妨奉朔朝貢也], 則俄雖欲垂涎而不能. 敝國得賴以障北陲, 而貴國亦無東顧之患. 僕自以爲當今之時, 只有此計可行. 古人云: ‘其母言之, 爲賢母. 其妻言之, 不免爲妬婦.’ 僕之言, 閣下幸勿以爲單爲敝國也.”
答: “俄之虎視耽耽於朝鮮也. 天下萬國夫人而知之. 然及今, 尚無動靜者, 實以朝鮮密邇敝國盛京, 諒中國無不力爭之理. 所謂卧榻之下不容他人酣睡者也. 且又無甚大利可圖, 而其國勢竟偏重西方, 故未敢輕發此難端. 閣下所言, 兩國保護一層, 在公法中雖有此義, 然如俄果有吞噬朝鮮之志, 以一國保護不見爲少, 以兩國保護亦未必即見爲多. 且我兩國, 現因琉球之故, 尚齟齬未協, 又安能爲此説乎? 如貴國能退還琉球, 或有商議, 亦未可定. 但此只是私意測度之詞, 閣下所言固非專爲貴國, 而僕言亦從大局上説法也. 未知尊意以爲何如?”
問: “僕聞安南之報, 慮將來東洋之局, 幾乎睡不交睫,주 009 纔得此一説. 敢聞之閣下. 如以爲可行, 僕將欲與我外務卿説之. 閣下説現有球案未結, 然此自兩事, 僕以爲與此説不相闗. 保護之權, 歸之兩國者, 蓋一國所護, 非其力不足, 主護國而與他國有事, 則所護國不能免其禍, 故欲埽之兩國. 問若以敝國與貴國兩護保之説爲歉, 則更加美而参之, 亦無不可.”
答: “閣下之論, 雖東方大局起見, 然欲我兩國同心協力, 非先將球案解釋, 則凡有論説, 皆屬難行. 僕所言亦只是因閣下之論, 而究其埽宿耳. 好在今日兩人間談, 是與非均無闗得失, 以非公事, 故可隨意亂道耳.”
問: “今日之話, 論安南, 説朝鮮, 但是一場話頭, 固非公事. 聞閣下徵有不舒服, 問話相勰, 深知得罪, 僕請辭退.”
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색인어
- 이름
- 黎庶昌, 井上馨, 田邊太一, 庶昌, 羅淑亞, 庶昌, 田邊, 井上馨, 郭萬俊, 黎庶昌, 田邊太一
- 지명
- 安南, 安南, 北甯, 宣泰, 安南, 安南, 琉球, 琉球, 安南, 長崎, 安南, 法國, 法國, 安國, 安南, 歐洲, 盛京, 安南, 安南, 盛京, 安南
