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玄室_西壁_墓主夫妻出行図(上段)_詳細_貴婦人2
Title玄室_西壁_墓主夫妻出行図(上段)_詳細_貴婦人2
玄室_西壁_墓主夫妻出行図(上段)_詳細_貴婦人2
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水山里壁画古墳玄室の西壁上段の出行図に描かれた人物たちのうち、墓主夫人のすぐ後ろに描写された三番目の貴婦人の詳細図で、墓主夫人を含む三人の貴婦人の中で最も若く見える。この貴婦人もまた、前の二人の貴婦人と同様に頬と額に赤い紅をさし、優雅に結い上げた髪のまま、軽い気持ちで外出に従っている。若い貴婦人の大きさはすぐ前の貴婦人と同じで、行列の先頭に描かれた墓主、墓主息子、墓主夫人よりも小さく描かれているが、これも微妙な身分差をそのまま反映したものといえる。つまり、この貴婦人もその大きさから判断すると、三人よりは身分的地位が低い人物で、すぐ前に立つ貴婦人と同じ大きさで描写され、非常によく似た装いであるため、侍女と見ることはできず、行列の位置で見ると墓主の最も若い三番目の妻と推定される。当時の高句麗社会は一夫多妻制であったため、一人の男が複数の妻を持つことができ、実際に墓の壁画にも数名の妻と一緒に座っている墓主夫妻肖像の例がいくつかある。
まず、この貴婦人の服飾を見ると、チョゴリは前の二人の貴婦人と同じ様式、つまりチョゴリの襟ぐりと前襟、袖口、裾周りに赤い糸で華やかに刺繍した絹の布を活用して広く襈をつけ、さらに襟ぐりと袖口に赤い襈をつけて華やかさを追求した形態を見せ、チョゴリの布は黒の代わりに赤の布を使用した点が前の二人の夫人と異なっている。やはり最も若い夫人であるだけに、華やかな赤いチョゴリを好んで着たのではないかと考えられる。この貴婦人たちの服飾は、平民や侍従のチョゴリが一重の無地の襈だけからなるのとは、大きな違いが見られる。チマはやはり墓主夫人とは別の形で、前に立つ貴婦人つまり二番目の夫人と同じ形のひだ幅が狭い無地の生地で作られたチマを身に纏っている。
チョゴリ着衣法は、袵を右に合わせて着る右袵(右袵:左袵を右胸に合わせて着る方式)方式である。高句麗の伝統的な着衣法は、左袵(左袵:右袵を左胸に合わせて着る方式)であったが、漢族の右袵方式が高句麗に伝来したのに伴い、左袵と右袵が混在していたことが分かる。墓主夫妻が並んでさしていた傘蓋(古代の貴族たちの外出時に太陽を遮るための道具で、今日の日傘のようなものである)は見えない。
この貴婦人の手は前に立つ二人の夫人とは異なり、胸の前で組む拱手の形ではなく、墓主と墓主の息子のように両手を筒の広い袂の外に出して、仏の手印(仏の指の形)を模したような特異な姿を見せている。人物の適切な比率、華やかな装い、流麗な服のひだ、創造的な表現方法などから、高句麗画工の高い絵画水準を垣間見ることができる。この貴婦人像も高句麗の貴族婦人の華やかながらも優雅な装いがうかがい知れる非常に重要な絵画資料である。

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