• 高句麗と渤海
  • 安岳3号墳
前室_西壁(左)_帳下督_墨書銘
Title前室_西壁(左)_帳下督_墨書銘
前室_西壁(左)_帳下督_墨書銘
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西側室入口の左側に描かれた門衛の頭上に書かれた墨書銘である。全部で7行67文字で、その内容は 『永和十三年十月戊子朔卄六日/癸丑使持節都督諸軍事/平東將軍護撫夷校尉樂浪/昌黎玄菟帶方太守都/鄕候幽州遼東平郭/都鄕敬上里冬壽字/□安年六十九薨官』である。解釈すると「永和13年一日が戊子日の10月26日/癸丑に使持節都督諸軍事/平東将軍護撫夷校尉であり、樂浪相であり/ 昌黎、玄菟、帶方太守である/都鄕候である幽州遼東郡平郭県/都鄕敬上里出身の冬壽字は/年齢六十九歳のときに官についていたが死亡した」と訳すことができる。冬壽は前燕 の王である慕容皝の下にいた将帥で、反乱軍の慕容仁の指揮下に入ったが、慕容皝の攻撃を受けて敗れると、336年(高句麗故国原王時代)郭充と共に高句麗に亡命した人物である。残念なのは、高句麗に亡命した後の冬壽の行績についてはこれ以上の文献記録がないため、彼の高句麗での行績を詳しく知ることができないという事実である。

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