• 高句麗と渤海
  • 安岳3号墳
前室_南壁(入口東側)_斧鉞手
Title前室_南壁(入口東側)_斧鉞手
前室_南壁(入口東側)_斧鉞手
zoom

全部で四人の斧鉞手が両手で斧を立てて持ち、入口を向いて一列に立っている姿である。斧鉞手は全員、頭には武官用幘(文官や武官の儀礼用帽子で、後ろ部分の山が二股に分かれて前に曲がった形態と、山が三角形に尖って立っている形態の二種類がある。前者は文官用であり、後者は武官用である)をかぶり、尻まで下りてくる赤系統のチョゴリに白の筒が狭いパジである窮袴を着用している。チョゴリの中で擦り減りやすい襟ぐりや袖口、裾には、色の異なる布をつけて実用性と装飾性のいずれも兼ね備えている。このような布を「襈」と呼ぶ。窮袴は活動性に優れ、高麗時代の武官や身分の低い人々が身に纏っていたパジである。
元来、斧は古代から王の権威を象徴する儀仗用器物として多く使用された。これは王を象徴する漢字の「王」という字が、斧を象徴する象形文字に由来しているという事実からも確認できる。もちろん、斧は戦闘用の武器としても継続的に使用されており、高句麗時代にも戦闘用の武器としての役割を維持していた。斧が実際に兵器の一つとして使用されたという事実は、〈三国史記〉訥催伝でも確認できる。新羅の将軍訥催が百済軍との戦争で斧によって死んだという記録があるが、斧は当時の高句麗だけでなく、三国の他の国でも武器として使用されたことが確認できる。
安岳3号墳前室南壁に描かれた斧鉞手も、前室東壁に描かれた斧鉞手と同様に、儀仗隊列としての性格を強調しているといえる。斧を持った斧鉞手が、墓主の居住する空間の随所で墓主を護衛しているという事実は、まさに墓主の高い権威を象徴していると推察できる。

페이지 상단으로 이동하기