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玄室_西壁_出行図(下)_詳細_傘蓋を持っている侍従
Title玄室_西壁_出行図(下)_詳細_傘蓋を持っている侍従
玄室_西壁_出行図(下)_詳細_傘蓋を持っている侍従
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水山里壁画古墳玄室の西壁下段に描かれた出行場面の中で、傘蓋(古代の貴族たちの外出時に太陽を遮るための道具で、今日の日傘のようなものである)を持っている侍従の詳細図である。一人は傘蓋を持っており、他の一人は拱手(両手を胸の前で組む姿勢)をし、隣に寄り添って立っている。この侍従は、墓主が馬に乗るときに日焼けしないように日よけをさしかける任務を担っている。
まず、彼らの服装を見ると、活動に便利な筒が狭いパジである窮袴を着用し、頭には黒い布で作った巾(高句麗時代の帽子の一種で、布で頭を巻いて後ろで束ねた)を巻いている。巾は、主に高句麗時代の身分の低い人や侍従たちがかぶっていた帽子だが、貴族階級の人々も野外活動や狩猟に出かけるときには、活動性に優れた巾を着用した。上衣にはチョゴリを着たが、腰に帯を締め、特に首の襟ぐり、袖口、裾(裾周り)に襈(襈:ツルあるいはタンチョウの翼端や喉にある黒い羽を模した衣服形式で、シベリアシャーマニズムの影響と見られる)をつけている。襈は、擦り減りやすい服の端部分に布を重ねることで耐久性を持たせたものだが、色を変えることによって装飾的な効果も高めていた。このように襟がついたチョゴリを高句麗の人々は老若男女や身分の貴賎を問わず、すべての人が着用していた。
コウモリ紋様の黒の傘蓋は持ち手が曲がっており、一定の距離を保ちながら傘蓋をさしかけることができるように効率的に考案された。古代人たちの細かなアイデアが際立つ物質文化の存在を、壁画を通してではあるが、目にすることができるのは幸いである。

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